書物蔵

古本オモシロガリズム

辻井甲三郎と『雑誌愛好』

えっ? 辻井甲三郎って誰だってか?(・ω・。)
とりあへず、昭和前期、京都の雑誌コレクターということだけは云える
それ以上は誰も知らない(^-^;)
あの南陀楼さんも、知らない… ハズ。

戦前の全国古本屋地図

辻井甲三郎がなぜ「誰なの?」と問われるかとゆーと、理由は、

戦前(昭和14年)に「全国古本屋地図」を作った人

だからなのだ。ネット上では南陀楼さんとこで唯一言及されていた。
・『全国主要都市古本店分布図集成 昭和十四年版』雑誌愛好会編 辻井甲三郎 50p. 謄写版
どうもこの本(というかガリ版資料)は八木福次郎さんが持っているものしか今、アクセスできるものはないよう。
この人のことが気になってた(*´д`)ノ

『雑誌愛好』(10)を拾う

しばらく前、東京古書会館の即売会で扶桑書房さんの棚に1冊ポカリとほうり出されてて(300円だった)、「ん?(・ω・。) なんだろ」と拾ったガリ版がなーんと辻井がらみの同人誌だったのだ(^-^*)
題して『雑誌愛好』(これもガリ版
これはめずらかなり、とて、みなに紹介せねばと思っていたんだけど、なんとまぁこの同人誌をナンダロウさんも持っていたのぢゃ。
『大阪人』最新号の南陀楼さんの記事に大坂の古本屋で『雑誌愛好』第6輯をゲットした話がでてくる(南陀楼綾繁「荒ぶる猟書魂」『大阪人』(63) p.34-35 (2009.3))。
これでとりあへず材料は揃った!`・ω・´)o

『雑誌新聞文献事典』を使うと…

この辻井さんってばどんな人だろー?(・o・;) と思ひて人物情報をさぐるも、見あたらず。といふことで、雑誌の方から調べてみた。
過去の雑誌について調べるには、もちろん『出版年鑑』(1926-)、『雑誌年鑑』(1939-1942)、『日本近代文学大事典. 第5巻新聞・雑誌』(1977)を見るのが基本ではあるのだが、実は10年ほど前に便利な書誌が出ている。
・『雑誌新聞文献事典』天野敬太郎ほか 金沢文圃閣 1999 (文圃文献類従 ; 1)
これはセドローさんとこで12000円で買ったのだった(^-^*) 版元品切れ、というか絶版らしい。聞いた話では海外のマジメな国立図書館からも注文があったとか。この書誌や、最近でた『日本書誌の書誌』最終巻を買っているかどうかで、文献調査をまじめにやろうとしているかどうかがわかっちゃうんですなぁ(*゜-゜)
さっそく、『雑誌愛好』を引いてみると、こうある。

雑誌愛好ざつしあいこう (1)昭七8〜一二 (2)第一〜七輯 (3)雑誌 (4)辻井善三、辻井甲三郎 (5)京都・雑誌愛好会 (6)不定期 (7)半紙二つ折 (8)謄写版
雑誌愛好<書物誌展望続編>天野敬太郎 (日本古書通信 昭和三一1 第二一巻一号 p10)

ということで、この雑誌については「古通」21(1)(1956.1)に天野自身がなにか書いていることがわかる。さっそく「古通」を参照すると…

同人誌『雑誌愛好』(1932-)

天野のいうところでは、こうである(文章体をリスト化した)。

編集者:辻井善三 発行責任者:辻井甲三郎
(1) 1932.8 26p. 200部
(2) 1933.11 16p. 概ね35部(以下おなじ)
(3) 1935.1 16p.
(4) 1936.3 16p.
(5) 1936.7 40p.
(6) 1936.12 54p.
(7) 1937.1 25p.
(8) 「出たらしいが手許にはない」

辻井の人物情報は書かれてなかった残念。
天野によればそれぞれの号で、雑誌の追悼特集号の特集とかいろいろおもしろいことをやっていたらしい。天野が編集した『日本書誌の書誌. 主題編 1』(1981)にも、第1輯から第2輯に載った「雑誌追悼号目録」 が採録されている(p.99)。
例の『古本店分布図集成』は、この雑誌の連載を集成したものだとも天野は書いている。
辻井についての個人情報の記載はないが、最終号?とおぼしき第8輯について「出たらしいが手許にはない」と書いているので、逆に言えば第7輯までは天野は手許にあったことになる。天野のコレクションはどこいっちゃったんだろー(・o・;) 話では天野はコレクターではなかった(現物確認はするけど)というからなぁ…
あと、このたび数十年ぶりに金沢文圃閣が完結させた『日本書誌の書誌』は、天野が現認しちゃうと、たとへ『雑誌愛好』みたいなレアなものでも乗っけちゃうと友人が言っていたとおりだなぁ。現在の実用品として『日本書誌の書誌』を使う際には気をつけねば。

『雑誌愛好』第10輯の中身

わちきが会館で拾ったのは第10輯で、戦前の佐渡郷土史家にして愛書家の青柳秀雄さんが持っていたもの。内容をご紹介。

村野一雄君ヲ思フ 辻井甲三郎 p.2
 昭和11年に福岡古本屋分布図の作成を依頼した同人?村野への弔辞
古本屋M 環文三 p.3-5
 K市の病弱な古本屋主人に本の修理を頼んだ話。主人はまもなく死んだ。
塞翁荘主人駄語 雑誌愛好生 p.3-5
目・耳・口 愛好生 p.7-6
 新聞社、映画会社への時評
譲リ本 p.6
 近江匡彦(東京池袋)が志村松太郎『出版事業トソノ仕事ノ仕方』その他を譲るとある。
追悼号雑誌目録 p.7-9
 40点ほどを採録
追悼号雑誌蒐集ニ就テ p.7-9
 創刊号の書誌が雑誌『書物』に紹介されたこと。追悼号コレクター、青山容三(『書物趣味』主宰)、池上千代〓(岡山県)に照会したのに返事がないこと。
旅ト人ト書物ト(承前) 石田玲水 読書人としての司馬光のこと
雑誌短評
編集後記

雑誌『書物』に『雑誌愛好』が照会されたとあるから、そっちになんか載っているかも。

その後の『雑誌愛好』

わちきの持ってる第10輯の最終ページの記載から、つぎのようなことが判る。

(9) 1937.8 ?p.
(10) 1937.11 16p.
(11) 「来春ノ予定」と(10)末尾にあり

天野が昭和8年に紹介した後も、それなりに順調(?)に出ていたようである。

雑誌愛好会のその後

そのあと、メモリアルな業績たる『全国主要都市古本店分布図集成』を昭和14年に出すことになるわけだけど、それ以降も辻井の活動は戦中までたどれる。
・愛書家名簿 昭和16年度 / 雑誌愛好会編. 東京 : 雑誌愛好会 1941 20p. 三康図書館、鶴見大学蔵 これはネット上にも書影あり(http://www.ajisaibooks.com/satshi05.html
・雜誌愛好會刊〔行〕物廣告(昭和17年3月4日)
 (http://catalog.digitalarchives.tw/dacs5/System/Exhibition/Detail.jsp?CID=31870&OID=2470660
 これは雑誌愛好会から楊雲萍(よううんぴょう;1906-2000)への広告はがき。しかし、楊はいったいどうやって京都の雑誌愛好会の存在を知ったのかしら… やはり台湾愛書会あたりからか? だとすると雑誌愛好会に裏川吉太郎か西川満あたりが参加してたのかも。
・昭和蔵票聚集 昭和18年版 / 日本蔵票愛好会編. [京都] : [辻井甲三郎] [1943] 蔵書票(56枚)貼付 同志社大蔵。雑誌愛好会と日本蔵票愛好会の関係は不明なるも、類縁であることは察せらる。

戦後は?

うーん、不明なり(´・ω・`) とくにプランゲの記事索にでてこないからなぁ。京都は結果として空襲がなかったから無事にあの戦争を乗り切ったと考えたいが…