書物蔵

古本オモシロガリズム

皇道図書館の関係者について

あるいみ戦後トンデモ図書館本になりえる御大の本を精読していて,ホンモノ右翼図書館についての調査がとどこおってしまっていた(^-^;)
皇道図書館目録の概要
皇道図書館創立委員会リスト
事務局と仮館の住所
そうこうするうち,右翼通(^-^*)の畏友の調査が進みつつあり。
名誉顧問 今泉定助(定助)略歴,発起人 並木軍平の生年
名誉顧問今泉定助,顧問刈屋守弘と竹内文書の関係
うーん,ありがたいなり〜
当方はいろいろ古書展などで忙しく(^-^;),ほってあるのだけどひとつだけ進展が。
それは,この図書館を語る上でもっとも重要な並木軍平について

電気ハ値下カ国営カ : 電灯会社の横暴を曝く / 並木軍平. -- 電気値下期成同盟, 昭和11,62p ; 19cm 共同刊行:電気国営促進同盟

こんなパンフレットをだしているようだ。内容はたいしたことないが住所などがわかる。同姓同名の可能性もあり。ちなみに,この人物の生年は,わちきがいつも裏技で使ってるNDL-OPACからは判明せず。上記記事に記載あるも(1908年10月)どの辞書が典拠かご教授あれかし〜
目録編者「あとがき」に,並木軍平の近況について記述あり。「日大研究所の学徒として」とあるから,日本大学皇道研究所の所員or学生であったと思われる。さらに,「経営事業瑞穂教練社社長として元気にて」とある。「瑞穂教練社」ってなに?
いままで,この並木軍平についてわかったことをまとめると…

明治41(1908)年10月23日生まれ。群馬県出身。尾澤村(現・南牧村(ナンモクムラ)?)の小学校に通う。
大正末,桜井正次(刀匠・卍正次)に師事? 後にその縁で息子の桜井正幸(刀匠・のち人間国宝,隅谷正峯を育てる)に顧問になってもらう。
若いころ,2つの大志をたてる。ひとつは貧乏人のための工業学校の創設。もうひとつは国学研究の図書館の創設。
昭和初年,社会運動,政治運動に関与。(「若き日に社会運動や政治運動に関連せる折」とあるが,桜井正次に「根本をあやまることなく」ご指導してもらったということなので,逆に,やや左翼がかった運動であった可能性あり。)
昭和9(1934)年ごろ,パンフレット『電気ハ値下カ国営カ』を刊行。
昭和11(1936)年,パンフ再版
昭和13(1938)年,東京進運堂(株),瑞穂教練社(資)を興す。
昭和16(1941)年ごろ日本大学皇道学院(「晩学三十五歳にして入門」数え年か?)に。後に在学時の先輩・講師に図書館創立委員を委嘱。
大東亜戦争にともなう軍需の活況により,工業学校が盛んになるのを見,図書館の創設に力をふりむけることとする。すばらしー
昭和17(1942)年春になんらかのつてで今泉定助に会い,図書館創立の件を話し,賛同を得る。
昭和18(1943)年8月,皇道図書館仮文庫,高崎にて開館?
図書館蔵書の1万冊は若い頃から本人が集めたもの(らしい)。さらに図書館創立にあたって関係者からも寄贈があったらしい。
日本大学皇道研究所に在籍。
昭和18(1943)年12月5日 目録第一輯(創立経過報告書を兼ねる) 発行
昭和19(1944)年8月 目録第二輯 発行予定(どうやら出なかったらしい)
昭和20(1945)年8月 目録第三輯 発行予定(同上,ってあたりまえ?)