書物蔵

古本オモシロガリズム

某先生の蔵書整理に馳せ参ず

蔵書整理のお手伝いとて、30年ぶりに某先生んちへ。
前日から前進基地へ泊まり込んでいたのだが、二度寝の寝坊で5分遅れにて南口へ集まる。それかわしばらく歩きて先生んちへ。最初、あまりに膨大なのでどうなるかと思ったが、一日かけてなんとか方向性が見える程度になる。お礼にとて、大型の書誌学本、本の本を4箱分ももらってしまう。ありがたいなり。
帰りに弟の手引で近場の焼き肉バーへみんなで行き、労をねぎらう。

近代出版研究を頒布

だい

古書現世さんに誘われて、本の雑誌社の即売会へ合流参加させてもらう。最初は古本を売ろうかと思ったが、出たばかりの『近代出版研究』を頒布するのがよかろうとて、新刊中心の品揃えにす。たくさんお客さんが来てくれてなにより。特に出品しなかった『調べる技術』について、司書系なのにちゃんとネット情報源のことを説明してあるのがよかった、といった同じ趣旨で別の人から乾燥を聞いたのが勉強になった。

書評

もうはるか昔、森さんから某先生が手がけた書評の日本史を聞いた。
本好きだったので、書評にも興味がある。
本が出たら書評も出ることになる。ただ、一般紙だと、本の良いところを指摘した販促っぽいものにどうしてもなってしまう。そのためにこそ専門誌、学術誌の書評があるのだと思うのだが、一般紙となんら変わらず、褒めるばかりでちゃんと欠点を指摘できていない書評がふえてきたような気がする。できれば気だけであってほしいが。
もちろんそんな書評を書いちゃった学者の責任ではあるのだが、実はその専門誌、学会、学界の責任もあるのではないかと思う。ちゃんとした学術的書評がでない学問は、要するに堕落したダメな学問になっちゃってるということだ。

rnavi.ndl.go.jp

大東和重『文学の誕生』を読んだ

昨日、書評がらみで次の本を大学図書館で読んだ。森さんが以前読んだけど面白かったよ、と言っていたので。
文学の誕生 : 藤村から漱石へ (講談社選書メチエ ; 378) / 大東和重 著. 講談社, 2006.12

文芸評論史でもある、というか、むしろそれを題材に、小説の良し悪しが、技工論から著者の人間論に変わる変わり目、それは戦後の明治40年前後の文壇や同時代評を見るというもの。なかなか面白かった。
同時代評、というと、
文藝時評大系 / 中島国彦編. ゆまに書房 2005.11-2010.4
がすぐ思いつく。そういや、一時期、やたらと、明治期有名作家の同時代評はないか、って聞かれたなぁ。当時、流行り始めだったのか。もしかして大東氏のこの本あたりが最初??? まぁ森さんに聞けばわかるね(๑•̀ㅂ•́)و✧

ブリブリ怒りながら原稿を書く

学術雑誌なるものの書評を頼まれお気軽に引き受けちゃったんだが、先行してでた書評が底抜けになっているのであきれる。また損な役回りやなぁと怒りながら書く。

お昼からお出かけ

午前中に1本あげようと思うも、まとまらぬまま時間が来たのでいつもの日比谷方面へ。
相変わらず銀座は混むねぇ。
新橋の古本市へもう一度行こうと思うも、ラーメン食べよ、とて神保町へ。
ラーメンを食べて後、某所へ遊びに行くと、例の本の書評が聖教新聞に載ったとぞ。びっくりΣ(・ω・ノ)ノ!
どんどん広まるなぁ。
この前の日曜は八王子で、サインなんどを求められてびっくりしたことぢゃった(^-^;)
社長さんに、北米日本研究司書の話を聞く。連載を読んでもらっていたとのこと。
それにつけても思い出すのは、もう十年くらい前、イタリアの日本研究司書の大変に褒められたこと。なつかし。
午後は古本市によらずに帰ってきて、ソファーに寝っ転がったら昼寝してしまった。
夜は人形劇八犬伝を見る。