書物蔵

古本オモシロガリズム

京都2日目 下鴨最終日に井戸水を飲む

京都2日目、この日の午後に某先生と下鴨納涼古本市で待ち合わせることになっていたのだった。。
朝はやや遅く、いつも使っているパン屋さんの喫茶部門へ。いつも美味しいなぁ、ここは。
いったん戻って、オタどんの古本分析を行い、京都市へ出たのは11時も過ぎた頃だった。

おお、相変わらず広いね下鴨は。ってかこの時、ミョーに浴衣姿のおにゃのこが多いことに気づいていたのだが、それが何を意味するかは神ならぬ身なれば、わからんかった。

コミケに遅刻する

そのうち見つかるだろ、と思っていたけふのコミケチケットが見つからぬ。本宅、古本研究所どちらを探しても見当たらず。
でもまぁ見つかるだと、ときのふの後片付け。同人誌の箱をいろいろ運ぶ。
さうこうしてゐると忘れ物につきリさんから架電。きのふの反省会続きみたいな話をする。特に撤収時期につき、やはりあのタイミングが天佑であったよな、キスカ島撤退みたいなもんぢゃテ、などと。
昼間すぎても見つからないので、もうあきらめて高円寺の古書展にでも行かうか、なとと考えはじめると、なんと見つかった。
でも入館時間を過ぎてるんで、だめぢゃ〜とネットで嘆いたら、池川さんが、遅く入る分にはOKですよと教えてくれ、あわてて行く。
結局2時から3時半くらいまでいた。でも3時をまわると、みんな撤収を始めてしまって、あんまり見られんかったなぁ。でもまぁ雰囲気だけは味わえたのでよしとす。
あしたは下鴨。

コミケに初出店


けふはコミケ100回目の佳き日。
きのふはラピュタをやっていたので、前夜祭的に森さんとリバーフィールドさんと古本研究所で一緒に見る。森さんがさかんに「いきおいでみせるアニメだ」とか「やたらに動いている」と言っていたが、結局12時前に散会して森さんは帰す。
バーフィールドさんには泊まってもらう。というのも、朝の6時半に起き出して一緒にお台場まで行ってもらうため。めざましをかけて寝たところ、あに図らんや、めざましより早く起きる。研究所へ迎えにいくとリさんはすでに起きてシャワーを済ませていた。
近くのセブンイレブンで朝飯を買ってめし。セブンイレブンって、6時でもやってんのね(セブンでないという意味)。

同人誌は昨晩、森さんに積み込んでもらってたので、そのまま筋斗雲に乗り込んで駐車場へ向かう。よく考えたら宅配便で直接ブースへ送付してもらえばよかったか。駐車場へは順調に乗り入れられたんだが、現場までけっこう遠い。台車もへろいので四苦八苦して行軍す。こんなところで、おじいちゃんがやった満洲逃避行のマネごとをすることになろうとは……(実際、途中まで本を馬車で運んだとぞ)。東棟の北側から入れるかと思ったら、スタッフに出店者はさらに先ですよ、と促され歩く。大きなかごを抱えたリさんのため、ところどころで休む。
会場へ入ったら、なんと近くに盛林堂さんが出店していてびっくりΣ੧(❛□❛✿)  病み上がりなのにさすがやなぁ。ご挨拶す。
カタログを買いに言ったら品切れ。そしたら売人さんが「西にまだあるかも」というので、西への旅に出る。延々と歩いてなんと西棟でゲット。ヤフオクで転売屋から買わずに良かった。
開場まで待機していると「さよなら国会図書館六階食堂」でご一緒した白峰彩子@mtblanc_aさんが来てくれる。しばし談笑。
開場後、ちらほら本を買ってくれる人が現れる。ながらくふぉろーしていた伊都さんなども来てくれ二人して感激す。意外だったのは新刊だけでなく既刊本の動きが良かったこと。特に『近代出版研究2022』が、展開した分のほとんど売れてしまい望外の喜び。
リさんと交代しながらトイレへ行ったり、近場のブースを見たり。
昼にはまた西への旅へ出る。コスプレイヤーさんを見学しにはじっこへ。1冊買う。
帰って来たら、なんとぬりえ屋さんはいない間に来て、次の用事があるからと風のように去ってしまったとぞ。わちきへの戦前紙ものをお土産として持ってきてくれて有り難し。意外と既刊が売れているとの報告をリさんから受く。外はひどい雨。並んでいる人は大変だ。
池川佳宏@saikifumiyoshiさんがご挨拶にみえる、ってかリアルで会ったのは初めて。なにやら南のほうで研究員をやるとかで、斎藤昌三以来の「趣味と研究」問題を思い出す。わちきは趣味が自然に研究になるのがいちばんいいと思っているので、マンガ研究に画期を開いてもらいたいと念じてます。
カレーパンを食べたら眠くなってしまい、座りながら寝てしまった。そういや椅子は1つしかないので、リさんにはクーラーボックスに座ってもらう。なぜか気に入って座ってもらってしまう。
うとうとしていたらピンバイス40年史はどうしてここで売っているのか、と疑問を呈すお客さんが現れたのでかくかくしかじかと説明す。

その後もちらりほらりと売れて行く。雨がふり続ける。以前、ブログを熱心に書いていた頃に知り合ったニット協会員サラリーマンtarimo99さんも来てくれた。嬉しきかな。
そうこうしているうちに3時前となり、みると盛林堂さんが早くも撤収作業をしている。そこで、撤収のタイミングやその経路などをうかがう。まったく何事にも先達はあらまほしきことなり。
リさんがつけていた販売統計から、あと1時間でどれくらい売れそうか予測し、われわれの撤収時間を決めていたら、いちど来てくれていたテオファントスさんが再来し、なればとて一緒に撤収することに。彼にはリさんが多大なる情報提供を受けており、特に蒐書家リストがらみで彼のゲットせる情報は一流なれば。
奇跡的に撤収時には雨がやんでいて、同人誌残本が濡れずにすむ。積み込んで無事離脱。
某駅へ移動しテオファントスさんを下ろした後、われわれはデニーズで反省会。いろいろ分析し、会計。結果として本日の売上げはウン万円となれり。

帰り、昼間の狂騒を回顧しつつ土砂降りの中で会場を見た。

久しぶりに国会図書館へ行く

みんなが行くというので、付き合いで永田町なる国会図書館東京本館へ行く。

妹らと待ち合わせて西口から入るが、彼らが利用者登録をするというので付き合う。20分以上時間がかかるが、段取りはまずまず。
出納依頼の仕方や新館と本館の配置などを説明した後、地図室などを案内する。
お昼が来たので3F喫茶へ行ったら案の定、こみこみなので1F喫茶へ逃げ出す。
時間が来たので、別途調べ物に来ていたMさんとKさん、みんなとの待ち合わせ、テレポーテーションしていろいろ見てまわる。大変にうけたのでよかった。
8/18記す

今日やったこと

午前中、作業をする。途中、締切が11時と気づいてΣ(・ω・ノ)ノ!
でも1時でも入力できた。めでたしめでたし。スマトラカレーを食べに行く。

午後は本の整理と筋斗雲の荷台空け。
これは週末ひらかれるコミケット搬入用。
夜は読書。
先週末、兵務局さんにわけてもらったこれを少し読む。
最後の江戸暦問屋 / 寺井美奈子 著. 筑摩書房, 1995.1
国会図書館の分類ではただの小説にしちゃってるし、Pコードではただの日本史だが、著者の先祖の幕末明治初年の暦問屋のこと。家伝と調べとをまぜて小説にしている。

森さんとディジタルな人んちへ

古本屋めぐりついでに、ディジタルなんとかにつとめている人んとこへ遊びに森さんと行く。

いろいろ森さんと盛り上がっていたようだが、おいとまし、古本研究所へ戻ってビールを飲む。

1911年前後、神保町の古本屋露店配置と、中西屋の二階


『かんだ』141号(平成7年12月)に、木内武郷(神保町のカバン店「レオ マカラズヤ」三代目)が「神田の青春ありやなしや」という記事を書いている中に、これは家に伝承されたものであろう「昭和12年12月、駿河台下すずらん通り、歳末大売り出しの飾り」と題された写真が掲げられている。これを見ると、すずらん通りの夜店が北側寄りに並んでいたのではないかと思われるが。
しかし、一方で、永井龍男の小説「手袋のかたっぽ」で、作中人物が明治末から大正初め、ニコライ堂付属神学校の生徒だった時代のこととして、こんな回想をしている。

今川焼き屋の隣りから、両側とも殆ど全部の夜店が古本屋ばかり、あれを端から克明に見てゆく。〜
 四ツ角まで言つて右へ、神保町の停留場の方へ曲つて、今度は逆に、右側にずらりと並んだ電車通りの古本屋を駿河台下へ向いて見て行く

dl.ndl.go.jp
こうしてみると、歳末大売り出しは普段の夜店でなく店持ちが露店を出した可能性もあるなぁ。

中西屋の二階

おなじ「手袋のかたっぽ」で、やはり同じ作中人物が中西屋でブレークの画集を立ち読みする場面がある。正確にいうと、毎日立ち読みして「一週間もたつて居たらうか、いつものやうに午後其処へ行くと、無いんですよ。」と。作中人物の述べるタイトルからいうと次の本らしいが、
William Blake a study of his life and art work / Irene Langridge. London: George Bell and Sons 1904
してみると、1911年頃というよりもちっと前かな? いや中西屋は丸善のデッドストックを売る場所だからこれでいいのか?
それはともかく。

やがて、冷酷な顔をした店員が、二人並んで大きな書棚の前に腰をかけ、こつちを見てゐる。僕は二三歩その方へつかつかと行きかけて、はつとして踵を返した。意気込んで、あの本をどうしたと訊くつもりだつた。私は顔をあからめ、足早で、出来れば駆け出したい気で、夢中で階段を下りた。(p.140)

鹿島先生の『神田神保町書肆街考』にある中西屋の項でもちゃんと「手袋のかたっぽ」は長めに引用されているんだが、この、階段を下りた部分は先生の表現になっていた。(鹿島、2017、p.134)
明治年間の、本屋内部の写真というのは僅少なのだが、珍しくも中西屋のものは『本の街』(80)(1987.6)で紹介されていた。この写真から、中西屋は土間式で陳列式になっているが、完全開架ではなく、ガラスの戸がはまっていることがわかる。中西屋の二階の棚にガラス戸がはまっていたかどうか定かでないが、作中人物の行動からするに、少なくとも鍵はかかっていなかった可能性が大きい。