書物蔵

古本オモシロガリズム

手元にある変な本

青木繁著、蒐集 瀬戸内海史跡調査団出版部、昭和34年、353頁
青木, 繁, 1903-珍姓名、同姓名、珍答集、類言集、地名と駅名、ゲテモノ、民俗・外、蒐集界。蔵書印。
今昔民俗博物館 黄庵什宝抄 昭和50
丘竹之介著 一途の愛 岡野他家夫 1982 124p限定150部

本の奥付に著者略歴が載るのは1943(昭和18)年2月頃から

f:id:shomotsubugyo:20210421163729j:plain日本書の奥付にある著者略歴欄はいつからあるのか?という疑問が出ては消えていく。


奥付研究はようやく注目を浴びつつある。
www.hanmoto.com
11年まえ一度、先行文献をまとめたこともあるね。
shomotsugura.hatenablog.com
奥付ページはいろんな要素からできているんだが、その一部である著者略歴欄については3年まえ、規範の出どころにいついて文献が出ている。

  • 林昌樹「古本社会主義!:戦時における本の価格表示 (停)マルテイと(公)マルコウ 付論・奥付における著者略歴記載の制度的起源」 『文献継承』 (32) 1 - 9 2018年3月

web.archive.org

これによると、

出文協の 1942 年 12 月 9 日の会議でこれを各 社に要請することに決まり、「書籍に編著者又は訳者の略歴掲載要項」というものがつくられ、1943 年 1 月 21 日以降企画の書籍につき、編著者、訳者の略歴を奥付上部等に記載するよう実際に広報されていたことがわかった(「書籍に編著者又は訳者の略歴掲載について」『出版文化』(43)p.7(1942.12.21))。

という。
要するに出版文化協会が、義務でないけど要請として昭和18年1月末から新規企画につけろ、といっていた。まぁ実際についたのは翌月あたりだろうねぇ…
出文協自身は「要項」の目的は

読者が編著者又は訳者の略歴を知ることが出来れば、其の書籍の内容と特質とを概念的につかんで其の選択に便宜を与へるのみならず読書指導の一助にも良効果を齎すものである

としている。要するに、書店で本を買う人に奥付を読ませて、正しい購入決定をさせる、とうことと、図書館その他がやっていた読書指導に役立つ、という。
小林は「同時期に始めた書籍の買切制をふまえての措置だったのではあるまいか。」とも指摘している。

【ご挨拶】依願免本官

新しく、やらねばならないことが見つかりましたので、きのふ、依願免本官、ないし依願免官、ってな紙をもらってみたので拙ブログ読者さま方にお知らせいたす∠(`・ω・´)


おほ昔の彼女に挨拶状を出したら、やりたいことが見つかったのはうらやましい、と言われたのであった(*゜-゜)

やりたいことリスト

「やりたいことリスト」っていつ頃からあることばなのかと思ったら、どうやら震災後にその影響でできたことばらしい。

このノートは、フェイスブック上に立ち上げた「編集委員会」に参加した約1400人の女性たちの意見を採り入れながら作られた。ノート全体の半分近くが、今の自分について記すページで、「これからやりたいことリスト」「私のベスト10」「ハッピーデイズ」「私の宝物」といった項目がおしゃれなレイアウトで並ぶ。

と思ったら、Googleブックスをみると、2004年からあるのね(゜~゜)

一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法 - v ページ
books.google.co.jp › books
熊谷正寿 · 2004

オタどんに触発されて新史料――川柳を読書史に転用すること

オタどんに触発されて、新しく史料を開発せんとて、川柳の本を読んでみた。いろいろ開発できたのでここにメモる也。



  • 川柳作法 / 木村半文銭 著. 湯川明文館, 1926 <911.4-Ki179s>

市街地図行李のいつち上に入れ 路郎 p.227
講義録追つ立てられるやうに着き 水平坊 p.229
講義録自警なんどを貼つておき 悠々
手をあげた昔なつかし講義録 半文銭
夕刊の押し売り親を振返り 水府 p.236
橋の名をよく知つてゐる夕刊屋 路郎
発売禁止の気分なり枕許 半文銭 p.249
※柄好みすぎて万引気づかれる 半文銭 p.253
番附に留守番は目をいばたゝき 南北 p.259
番附を安ふ扱ふ切落とし 五葉
それがしの名を番附で引合せ 当百
名刺受けあけりや御近所斗り也 汀果 p.267
訳本も読める母親乳が出ず 海三郎 p.271
新聞の日付見てから包む也 水丁 p.280
新聞へ向ひて一とまづ閑になり 丁子
新聞屋小言を背へ聞て行き 花水洞
今朝の事夕刊を見て負けになり 笑久保 p.281
つゞきもの読み終る頃歯が磨け 天眠
号外が来る盲は聞きたがり 蔦子
夕刊の上にさや豆皮になり 四洋
号外を横からさきによんで行き 同〔半文銭〕 p.386〔286?〕
紙屑屋十年前の事を云ひ 美扇 p.290
紙屑屋もしやそれなら気が狂ひ 半文銭
天才は他人の本で間に合せ 竹人 p.294
※掘出して夜店を早い足になり 緑天 p.305
二上りといふを手帳で教へられ 雲雀 p.309
絵葉書で見ると別府は湯気斗り 路郎 p.312
初めての月給とある日記帳 水府 p.389
雑誌屋へ帰りに廻る薬取り 同〔寛汀〕p.395
新聞で見ればお米は安い也 松窓 p.410
小説に妻と意見が違う也 鞍馬 p.411
欄外になつたと聞いて起上り 同〔蝶哉〕 p.416
古本屋辞書の署名を見逃さず 同〔蝶哉〕 

著者の木村半文銭とは

木村, 半文銭は『番傘』(1913.1-)の創立同人。

  • 岸本水府「半文銭逝く」『番傘』43(5)p12~14(1954-05)

これによると、本名は木村三郎。「昭和二十八年師走の候病死」と近江の川上日車君から手紙があったという。「私より四つ年が上だから今年六十六歳」。「明治四十二年の関西川柳社の例会で初めて会つた頃は、木津の大国町で酒屋をしていた」が、その後は出版業者になったという。
木村, 半文銭
https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00030873

  • 大正新川柳大全. 大正新川柳大全刊行部, 大正4 <特279-227>

リーダーの読めるが其処の姉御分 餘念坊

序文で明治大正の川柳集がないのだが必要なので作ったとある。

  • 川柳昭和九年特選集 / 和田天民子 撰. 川柳倶楽部社, 昭和10 <特257-907>

新聞雑誌
三面に小さく見える人情味 静豊 p.80
匿名の投書へ筋が通りすぎ キョウ華
家で見た新聞をよむ応接間 不浪人 p.81
化粧談まで読切つて一人ぽち 千樹路

オタどんに触発されて新史料 しょもつぐら

戦前の洋紙生産ピークは昭和12年

東京出版販売の社長・渡辺伝が「出版界の歩み・昔と今」『学校図書館』(58)p.23~27(1955.9)に、戦前の洋紙生産ピークは昭和12年21億3000万ポンドだったが、その内訳のうち、新聞紙が6億ポンド、出版が3億ポンドだったと言っている。出典は書かれていない。二千七百万ポンド
dl.ndl.go.jp

日記:内々の忘年会に

コロナ禍中なれど、うちうちでやるとのことなので、ホントに数ヶ月ぶりに帝都高速度交通にて神保町へ進出す。
会館で森さんに会い、遅れ気味にて会場へ移動したら、会長さんがすでにできあがってた(・o・;)
MRくんを特別に呼んでいて、彼と森さんは初お目見え。なれど、MRくんは民俗学史をやりたいとのことなので、森さんとは取り合わせばっちり。民俗学史で盛り上がった、らしい―ってかわちき寿司とビールでお腹いっぱい途中で寝てた―結局、5時間もいて、これは密か?