キングビスケット先生が、わちきがいつも疑問に思っていながら、手をだしかねている事柄について、問題提起をしておられた。
こういうマチの中華や定食屋にマンガ雑誌やマンガ本が並ぶようになったのっていつ頃からなんだろ(´・ω・`) https://t.co/ScqiaoIXIo
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2019年12月7日
ラーメン屋における週刊誌・マンガ週刊誌の読書である。
ラーメン屋読書とでもいうのだろうか、当時の呼び名はなかった気がする。現象として広く日本人にあっても、現象名の同時代名称がないということも、ままあるうちの一つ。わちきは、床屋や銀行での読書を合わせて「待合読書」と呼びたいところだけれど、ラーメン読書はある種の「なになにしながら」の読書なので、「ながら読書」というべきか。
それはともかく、先生の問題提起に対して、1970年代にはすでにあったとする証言がちらほら。
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— もふ@( °ω° )オオウ…天ガ地ガ人ガ国ガ (@mofumf) 2019年12月7日
東京では遅くとも70th前半にはあった
かと。半ば頃には汚ねえラーメン屋とかではエロトピアとかのエロ漫画が
灰皿と共に片隅に積んであって
子供が手に取ろうとするとオッさんに睨まれたりw
文献では1960年代まで遡れそうである。
床屋さんに置いてある雑誌を読んで...だと小林信彦(氏は映画雑誌を)の幼少期に触れた文章を、大衆食堂だと呉智英(氏は漫画雑誌を大学生の頃1965年初夏に。犬儒派だもの,水木しげるの最高傑作としての「水木しげる」)の文章を想起しました。「一人で食べるのは退屈」という意識の来し方も興味深い。
— 二匹大介 (@Yta8Ntion1FKvR0) 2019年12月8日
さすが先生はこれをうけ、日本に特有とされる(少なくとも欧米にはこれがないに近いらしい)ひとり飯の起源へつなげている。
king-biscuit
@kingbiscuitSIU
返信先:
@Yta8Ntion1FKvR0
さん
「一人で喰う」ことへの退屈なり淋しさなりは、おそらく食事には「給仕」がつくのがあたりまえだった習慣(酒席の「酌」なども)から何となく違和感があった段階を経て、という気がします。
もちろん答えは半分でていて、というか手かがりとして読む対象、つまり「週刊誌」の成立がある。現在の意味での「シューカンシ」は昭和20年代末、あとはマンガ週刊誌の成立が上限になるかしら。もちろん、ラーメン屋でのひとり飯、とのからみも。