書物蔵

古本オモシロガリズム

『昭和前期蒐書家リスト』! 戦前のブックコレクター4500人がわかる!

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戦前日本で古本を集めていた、趣味人・在野研究者・学者など4500名ほど(実際には4400人くらいに)を一括して検索できるレファレンス本を、同人誌で友人が作ってくれました(^-^)
11/24(日)の文学フリマ(in 東京流通センター)ブース:ネ-21で頒布されます(頒価1000円)。
もし残部が出れば、金沢文圃閣に委託してサイト「日本の古本屋」経由で頒布してもらうそうですが、何分にも同人誌にて発行部数は僅少。確実に入手されたい向きは文学フリマへ行かれるとよいかと(´・ω・)ノ

「蒐書家(しゅうしょか)」とは

「蒐書家」とは、ブック・コレクターのこと。戦前、一部で使われた用語。ほぼ「蔵書家」と同じ意味だが、蔵書家だと、結果として本をたくさん(数万冊とか)持っている人の意味で、親から引き継いで自分では集めなかった人も入っちゃうから、自分で集めた人や、集めようとしても、結局、あんまり集まらなかった人も含めて入れる言葉「蒐書家」にしたのであった。
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リストは人名事典へ至る道

本文は昭和前期にいくつか発行された蒐書家リストからデータを抽出して、人名よみ順に混排したもの。もともと蒐書家リストは主に、古書業界の売り込み先リストとして作られたものなので、調べるという点からは不備のものだった。それが今回、一括して検索できるようになったのと、蒐集ジャンルなどもわかるようになったのがとても便利。当時の愛書趣味人の動きや在野研究者、一部学者の動向がわかるのだ(^-^)
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どうやって楽しんだり活用するのか?

でも各種名簿を混排したリストでどんな楽しみ方、活用をすればいいのか? これはふつうの人には意外とわからないらしいので、それを一切合切、事例を含めて解説したのが、このリストの原案者たるわちき、というわけなので、この解説があれば大丈夫。また石川県だけは人名事典の作例として編者が作ったものが、おまけでつけてあるので、戦前石川県古本者事典でもある。
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追記11/14 昭和戦前「研究者・研究課題総覧 人文編」だねコレ(σ・∀・)

きのふ、つれづれに本書を眺めていたら、三村竹清が蒐集領域でヘンテコなことを言っていたり、オモシロだったんだけど、蒐集領域をぼんやり眺めていたら、「学者が意外と多いなぁ」と気づいて、そこからの連想で「全員が学者だったら、あの本になるなと」気づいた。すなはち。

そうだ、これって、昭和戦前期の「研究者・研究課題総覧 人文編」そのものだ

これは拙解説に書いてない新しい楽しみ方(活用法)(σ・∀・)

大きな  。。。。 

レファ本という概念を知っておるかい?

図書館情報学なる学問では「参考図書」と訳せ、とこちたきことが言われるように、これは外来の言葉reference bookの日本漢語である。明治から戦前にかけては「参考書」と訳されておったものである。
読む本でなく、引く本。
哲学、歴史、文学など、人文系でいま現役のレファ本の和書は2万冊くらいかしら(゜~゜ )
それに今月、新しい一歩があった。それは……。
古本マニア人名辞典の予備版である。 
その名を

昭和前期蒐書家リスト:趣味人・在野研究者・学者4500人

と云う。

*

今まで、古本マニアの人名辞典は日本に無かったんよ。
それが今月、物理的に生まれた。
作ったのは、わちきでなく、リバーフィールドさん。
ま、本格的人名辞典の一歩手前のものなので「蒐書家辞典」でなく「蒐書家リスト」と号したのだが、しかしそれにしても日本で最初のものと言っていいだろう。
実は……。
この本、わちきが全体の設計をしたのだ。
というか、わちきが節
かきかけ

まっちゃまち(松屋町)は赤本の産地だった

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きのふ気づいた毎日フォトバンク内の、戦争直後カラー写真。
いやサ、この写真コレクションは、すでに昭和期にカラー写真集で出版されているので知ってはいたが、有料フォトライブラリーとなったのねん。
活気を取り戻す大阪の問屋街、昭和24年
つれづれに見ていたら、マッチャマチが出てきた。
松屋町とは、東京の蔵前にも比すべき玩具問屋街なのだが、日本出版史上重要なのは、じつは大阪が全国的地場産業、赤本の産地、ゾッキ本の問屋街でもあるからで、これは蔵前にはあまりない機能。つまり、まじめな、まともな本の産地は、東京神保町が全国区的地場産業になるんだが、ふまじめでてけとーな本の産地は東京でなく大阪ぢゃった。
手塚治虫が、最初、赤本漫画でデビューした話は象徴的だねぇ。
話をもどすと、そういった手塚初期赤本マンガが売られていた卸売の現場はまさにこの写真というわけ。

「正統的な読書」という概念

森さんに、面白い概念が提示されておるよ、とかなり前に言われてメモするなり。

前田愛「近代読者の成立」〜が指摘して以来、黙読が日本人の読書の型をつくったという説があり、これが明治後期以来の教養主義的な読書論としてひろまった。永嶺重利「”読書国民”の誕生〜などで展開されている。伝統的な読書の態度として、書物を読むことを通して著者の考えを拳拳服膺しながら読むことが称揚され、借りて読んだり図書館で読むのは決して正統的な読書と言えなかった。だから、近代的日本の成人読書は出版流通市場中心の私的読書となりがちであり、そのなかで図書館の位置づけは大きくなかったという見方が生まれる。黙読型の教養主義読書は戦後にも引き継がれた。そこにもやはり本は買って読むべしというメッセージがあり、知識人・教養人にとって図書館は必ずしも積極的に推進する期間ではなかった。
根本彰「書評:「公共図書館の冒険:未来につながるヒストリー」『図書館文化史研究』36号p.169、2019

森さんに指摘されたのは「正統的な読書」というフレーズ。
いまわちきがくどく説明すると、この正統的な読書は、次のようなものを言うのだろう。

書店に行って良書を買い、家に持ち帰り勉強べやで机の上に本を起き、十分な日光か照明を確保し、椅子に座って正対し、居住まいを正し、距離は数十センチおき、静かに最初のページから黙読し、一時間ぐらいしたら休む。

これを書きながらすぐ思いがわきでてくるのは、こんな思い。

こんな正統的な読書、って実際の読書でやったことは、ほとんどないなぁ。

たとえばサ、自室で本を読むときには日本人なら畳の上に寝転がって読むことのほうが多いのでは(´・ω・)ノ
机に正対して居住まいをそれなりに正して、というのは、受験勉強ぐらいに限られるのではあるまいか。
そもそも座って読むよりも、立つか、寝転がる場合のほうが多いのではあるまいか。
なーんてことがスグ思いつく、オモシロな概念が「正統的読書」。
ん?(・ω・。)
おみゃーは何とちくるったことをいふとるんかってか(^-^;)
さう、君はお気づきぢゃ。
つまりはぢゃ。
「非正統的読書」が重要といふことぢゃ。
わちきはここに、「非正統的読書」を日本読書史研究のテクニカルタームとして提唱するなり(σ・∀・)

オタどんに対抗し、神保町で国会図書館にない本を

これぞ古本まつり?

オタどんが西の京で、古本市にトチゲキしまくりなので、東の京都のわちきもとて、行くなり(´・ω・)ノ
筋斗雲はマックの前に駐めて、ぶらりと靖国通り露店を一周す。

んー
やれやれ、何も買わないですみそうぢゃ。
なんてったって、古本が一軒分も溜まってしまったからのぅ…
買わないで済めばそれにこしたことはないのぢゃ

とて、最後に三省堂の入り口のところで安堵していたら、「○○教育」なる複合語のタイトルが目についた。

古い○○教育は、ネタの宝庫?

いやさ実は、○○教育は、これは戦前の言葉としては狙い目なんよ。
と、ゆーのも、リジッドな既存学問で対象にしづらい研究対象を、新しく研究対象にするのに、ガッコーとかキョウイクといった知識枠組みが使われることがあったからなのである。ヘンテコなものを拾いやすいタイトルの言葉なのだ。
ん?(・ω・。)
戦後かな?
でも、装丁が古いから昭和30年前後か。
とて手に取ったら、これが大アタり。

  • 新聞教育二十五年. 藤井宗夫編著 「新聞教育二十五年」刊行会 1972-05

エロ本はどこに入るのか

3日午前1時記載。
さっきツイートしたことは、実は金曜に兵務局さん相手に論文の材料とて語ったことがネタになっとんのぢゃ。

読書史を考える時、

教育:教科書、副読本
学問:人文書学術書
仕事:技術書、法令集医書
生活:料理書、大工入門、家庭医学

といった場合わけができるが、エロ本はどこに入るのか、真面目に考えると難しい。

日用品と捉えて、生活場面の家庭医学?
ってか、NDC(日本十進分類)でそうなっとる

正確には、ふつうの公共図書館大学図書館だとエロ本は選書段階でハネられるので、NDC本体に、エロ本の項目がない。

それゆゑ…
特別にエロ本が選書(収集方針とやら)を通って入ってくる国会附属図書館で、
NDC:598.2 結婚医学
に「性に関する雑著は,ここに収める」という適用細則を、1980年代に作ったらしい。

いま手元の7版に細則ないが、9版には本表に載っている。
読書史上、エロ本のことを語るなんて、なんてつまらなくも下品でふまじめなんだろう、ってな価値観を表明する人が、男女ともによくいるが(゜~゜ )
読書のハビトゥスとか、内務省検閲、国会納本など、大きすぎて、長期すぎて、正しすぎて、ふつーの人たちには見えない読書「制度」を見る時に、こういった「極端本」「周縁本」(わちきの造語ね)がどのように扱われるかから、その全体像がわかるんだよ(σ・∀・)
「性に関する雑著は,ここに収める」というNDCの適用細則が1980年代にできたらしいことから、すぐ仮説的に言えることは次のとおり。

悉皆納本を謳っていながら、その頃までエロ本の納本率は極端に低く、逆にそのころ若干の向上を見、適用細則が必要になった。

NDCは学術分類を元にしているため、
そもそも生活に根ざした書店配架分類とかけ離れており、生活書をうまく分類できない。

もう2つも仮説がゲットできちゃった(^-^)

戦前の内務省検閲が、実際にどう運用されていたかを見るには、
「主義書」
「エロ本」
などの極端本や周縁本がどうbanされたかを見ればよい、ということになる、というか、それでしか分からない。

おそらく当時の内務省の図書課員にだって、一般基準、特殊基準などとガイドランを示されていたとはいえ
実際にどの書目がバンされたか、を見ることで、体感的に論理を内面化していくしかなかったんだろうサ(´・ω・)ノ

せどりの超カンタンな通史

オタどんの古本フレンズが、次の本をけふ知恩寺で拾ったとかや(´・ω・)ノ

  • 川下浩ほか編『南天荘書店主人大萩登追悼集』大萩登追悼集刊行会、2001

国会図書館にないレアもの(σ・∀・)


わちきも2011年に話題にしているが、それ以前にたしかゴロウタン探索で岡山市によく行っていた時代に買ったものと思う。
2011年9月の古本フレンズとのメールやりとりで、

> ちなみにたしか
> 南天荘書店主人大萩登はアナーキスト
> 死亡時は大萩登追悼古書市が開催され 、
> 石神井さん出品雑誌を落札、○百万円。
○は引用者伏せ字

などと言及されている。アナキスト古本屋かつ競取師大萩さんについては追悼集を読んでいただくとして、このエントリでは、日本一カンタンなセドリ通史を書いてみん。

セドリは近代書籍流通業成立の先駆け

2019年3月に閉店したマンガ専門小売店コミック高岡のことをオタどんに触発されて調べたら、なんと初期セドリの一人だったことが、反町の「紙魚の昔語り」で判明した(´・ω・)ノ

しかし、今回の調べで一番オドロイタのは、高岡書店の開祖たる高岡安太郎が日本で最初期のセドリだったといふこと(。・_・。)ノ
明治20、30年代に書籍取次(4大、とか5大とかの「おおとりつぎ」)会社が成立する以前の世界では、新刊でも古書でも「セドリ」は店頭品揃えの幅を広げるのに必須の機能だった。そこで出てきたのが「せどり」。
コミック高岡の淵源は、日本最初のセドリ師ぢゃったΣ(゚◇゚;) - 書物蔵

高岡安太郎(1864-?)という人物が大垣から本屋の親戚を頼って1877(明治10)年に上京。1880年に独立して、しばらくセドリをしてお金をため、開いたのが高岡書店だったのだが、要するに、元手が少なくても、お金がすごくたまる仕事がセドリだった。というのも、この明治10年代の日本には書籍取次業(本の問屋)がまだ無い。
本屋は、本の生産(出版の版元)、流通、販売(小売)のぜんぶをやるのが「ほんや」という江戸時代以来の商売方法が続いていた。
けれど、これでは、品切れ絶版でない書籍は、版元の「ほんや」でしか買えない。仲のいい本屋どおして交換することは江戸時代からあったようだがレパートリーが限られる。
それでも江戸時代はまだよかったんよ、新刊がでるペースがものすごく少ないから。ところが、時代は明治になり、新知識が求められるとともに新刊発売ペースが早くなってきた。どーする?どーする!
と、いうことで、元手となる小金をもとに、東京市内の本屋を歩き回り、ある本屋で本を買い、別の本屋でその本を売る、という利ざや稼ぎの競取り師が業者として成立したというわけだった。
ん?(・ω・。) 古本の話ぢゃないぢゃないかってか(σ・∀・)
いやサ、言い忘れてたが「ほんや」というのは江戸時代、当然ごとく古本も扱っていたのであった。新刊書店と古本屋が分離するのは、やはり明治の後半なんよ。「ほんや」は、版元でもあり流通でもあり、小売でもあり、古本屋でもあった。
近年の研究では、江戸期ほんやの起源は、今でいう古本屋であったという説すら提出されておるのぢゃぞ(´・ω・)ノ

  • 江戸の古本屋 : 近世書肆のしごと. 橋口侯之介 著. 平凡社, 2018.12

江戸の古本屋: 近世書肆のしごと

江戸の古本屋: 近世書肆のしごと

話を戻すと、資料的に追っかけられてはいないが、明治初期、初期のせどりは新刊および古本を「ほんや」どうしで交換し合う機能を果たしていた。だからもうかったし何人もいたが、それは論理上、取次業の成立で衰退することになり、古本をメインとした形で残ることになったのだろうと思う。
で、これまた状況証拠しかないが、明治的セドリは一旦、昭和戦時に絶滅したと思われる。というのも。

戦時中、いったん途絶える

谷沢 僕が初めて本に接したのは、大阪の夜店なんです。月に三回くらい夜店が出まして、そこには必ず古本屋が何軒かありました。講談社佐藤紅緑の本なんか、当時一円の本が、安い場合には十銭でした。そして数日後、読んで持って行くと、かなり有利に買ってくれました。だから追い銭をちょっと出すと、次の本と交換できた。そんな形で、もっぱら講談社の少年読物を読んだものでした。
紀田 私の場合も大変良く似ていますね。要するに貸本屋と古本屋が一緒になっているような店が〔略〕
谷沢 その夜店は、昭和十六年ごろになくなりました。そして大阪では、古本屋が全部貸本屋に衣がえして、一切占いで高い保証金で円本を一冊五円くらいで貸すわけです。〔略〕
『読書清談:谷沢永一対談集』潮出版社1984、p.209

上記で谷沢永一が証言しているように、実は日本中(といってよい)の古本屋は戦争期にほとんど貸本屋のようになってしまったのであったから。
大萩登氏のような戦後のせどり師は、戦後経済が復活してから出てきたと思われる。せどり男爵も活躍は昭和戦後期に設定されている。

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

それも1980年代には途絶えて(これはたしか紀田先生が他で書いていた)なくなり、いまのセドラーなる形で復活するのは、ブックオフマケプレが成立してから、ということになる。