この前、某先生と飲んでいたら、明治初期の出版社発展には、教科書だけでなく、布達の印刷が重要だったのでは、という話になった。
それって誰か研究してますかね?
いや、知らんなぁ。けど、佐賀県の例では700部刷ったという史料を見たよ。明治初期の官令は毎日のように出たから、ほぼ毎日の新聞みたいなもの。
いまネットでググると次のHPが良いみたい。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0716kouhou_kf.htm
あと、「法令の周知方法」のことを「公文式」というらしい。
これによると次の段階で発展。
1.掲示と回覧時代(明治初期)
2.掲示と新聞紙登載併用時代(明治13年11月15日~同16年6月末日)
3.掲示と官報本紙登載併用時代(明治16年7月~同18年12月)
4.官報本紙登載時代(明治19、20年)
5.官報附録・警視庁公文、東京府公文時代(明治21年)
6.官報附録・警視庁東京府公報時代(明治22年1月~同27年3月)
7.官報本紙登載・警視庁公文、東京府公文時代(明治27年4月~同30年3月)
8.新聞紙附録・警視庁公文、東京府公文時代(明治30年4月~同31年9月)
9.直営による警視庁東京府公報時代(明治31年10月~昭和18年6月)
これを出版史に読み替えると。
明治5(1872)年8月7日 法令を活版刷りで町々に配布、それを回覧させる
明治13(1880)年9月13日 摺物回覧をやめ、日刊新聞(東京日日、読売)へ
「新聞紙中に「東京府公布」の一欄(後に「官令」欄と改)を設け、国(官省使府)の布告布達及び東京府の布達を掲載」を新聞社へ指令
警視庁(当時は東京警視本署)も同日から同様に
明治13(1883)年7月1日官報から、警視庁と東京府の布達類はこちらへも
明治19(1886)年1月以降は区町村内への掲示をやめる
といったところ。
東京府は先進的な例だろうし、新聞社が例外的にたくさんあった東京市ならではということだろう。
明治5年「触出地制度の導入と同時に、銀座2丁目にあった日報社(東京日日新聞発行所)に回覧用の布告類を傍訓(フリガナ)付きで印刷することを請け負わせ」たという、民間に法令を印刷させる、というのは、新聞社の少ない地方では出版の育成になったんではないか、という仮説がなりたつなぁ。むしろ明治初期地方印刷史になるのかしら。